「頑張った、と言う言葉が好きではないんです。」
と、昔少しだけメールを交換した男性に言われたことがある。
その頃のあたしは中学の終わりだったか高校の初めだったかで、周りよりも自分は大人で賢いのだと信じて疑わなかった、今思えば非常に愚かな時期。
男性は確か二十代前半だったように思う。
あたしは大人に思われたくて、彼の言葉を理解しようと必死だった。
翌日メールを返信する時に、訳の判らない言い回しで逃れた記憶がある。
今になって、わかる気がする。
このネット上を通して知り合った友人たちは、あたしよりも年下の子も多い。
知り合って一年強、彼女たちは高校三年になり進路と言う壁に悩んでいる。
それ以前に部活の引退だとか生徒会の仕事だとか、学生って意外と悩みが尽きない。
こうしてその環境を抜け出してしまって(といっても自分は大学生でありまだ学生だけど、大学と言う特殊環境は除外されるべき)、振り返ってみればなんでもなくなる。
だけどあの頃、あたしは確かに必死だった。
毎日、あとから思えばくだらなくなる悩みに必死に向き合っていた。
今彼女たちがそういう悩みに直面しては毎日憂いでいるのを見て、あたしは声の掛け方に迷う。
遠方に住む彼女たちを、ただ抱きしめてあげることなんて出来ない。
頑張れなんて事は勿論言えない。
毎日彼女たちは「頑張って」部活のどうしようもない後輩や、なかなか上がってくれない成績や、そんな諸々に立ち向かっているのだから。
だから、「頑張ってるね」と言った。
あの頃のあたしは、頑張っている事を認めてほしかったから。
もっと頑張れるかも知れないけれど、でも今だって十分頑張っている事を知ってほしかったから。
張り詰めたものが解けて泣いた、センター試験前一月三日を思い出す。
勉強は嫌いじゃなかった。
漠然と行けると思っていたけど、模試ではいい結果が出なくて、高校も随一の進学校というわけではなくて。
正月に会った親戚は1,5流の志望校を聞きつけて、頑張れ頑張れと繰り返す。
田舎にしてみりゃ一大事なのはよくわかっていたけれど、だけど辛かった。
世界史覚えられないんだって。古文嫌いなんだって。
親戚の家から帰ったあと、息が出来なくなるぐらい部屋で泣いた。
多分、親は今でも知らないかもしれない。
頑張ってるね、という言葉すら迷惑に感じるほど、彼女たちは頑張っているかもしれない。
それでも何か言葉を掛けてあげたかったから。
今日も何とか必死で生きている事を日記で知って、あたしは嬉しくなる。
頑張れは酷な言葉だ。
楽な言葉だからこそ、体のいい言葉だからこそ。
だけどあたしは今、頑張れと誰かに言って欲しいと思っている。
決して頑張っていないわけじゃないと思いたい。
もっと頑張れるはずだけれど。
決して彼らがついていたわけじゃないと思う、それは彼らが頑張った結果。
夜中に眠れなくて大学の知り合いの日記を読んで、急な不安に襲われた。
燃えるごみを出し忘れた部屋で、ルールのよくわからないテニス中継を見て。
あたしはまだまだ頑張れるんじゃないのか。
なのに何で不安になってるんだ。
不安になる価値もない。
誰かあたしに頑張れよお前って言って欲しい、と思う。
酷な後押しをして欲しい、と思う。
それすら甘えだからこそ。